最終更新日2019.1.8 17:59
クレイジーな削蹄師
削蹄から帰るといつも、魂が抜けたようにフラフラになっている。
年齢的なものもある。
体力も落ちた。
でも実は、削蹄は慣れてくると意外と力を使わない。
すり減らすのは体力以上に神経です。
麻酔も鎮静も枠場も使わず、『刃物を待って生き物と組み合う』仕事。
気もそぞろに仕事をしていると大惨事にもなりかねない。
牛を繋ぎ、脚を持ち上げ、鎌を回す過程の中で、潜るように集中をしていく。
深く深く、まるで体が牛と繋がってるのかと錯覚するくらい、全身で動きを察知して、先読みしながら牛の動きをコントロールする。
一心同体でありながら緊迫した空気の中、アドレナリンやドーパミンが過剰に出てくるのがわかる。
だから削蹄中は怪我をしても痛みをあまり感じない。
日常ではありえないくらいの集中力で次々と蹄を切っていく。
僕らは職人と呼ばれる。
でも実は海外のからの評価は全く別。
クレイジー(イカれてる)なんだって。
確かにそうかもしてないな。
いつまでもできる仕事ではない。
今の僕は職人ではなく選手だ。
プロスポーツマンの選手生命って意外に短い。
https://twitter.com/tanakakazuma/status/950262075250503680
クレイジーじゃなきゃ削蹄なんてできない。
ただ一つ補足をするならば、クレイジーにも色々ある。
クレイジーな削蹄師
先日甥弟子と二人で削蹄に行ってきました。
道中含めて楽しかった。
15歳からこの世界に入った甥弟子も、気がづけばもう19歳。
あっという間に追いつかれました。
まだ負けないけど、僕より優れてる部分も沢山ある。
この子の成長に驚くとともに、僕自身が削蹄師として伸びてないなとも思うわけです。
今までは勢いと経験だけでやってこれた。
でもそれはおそらく今がピーク。
力も落ちているし体もガタがきだしている。
ここで集中力までも落ちてきたら、きっと大きな怪我をするだろうし、大きな怪我をさせてしまう。
別に悲観してるわけじゃなく、どんな仕事も現状維持なんてものはないわけです。
肉体も集中力も徐々に衰えてくるのは当たり前。
通用しなくなる。
削蹄師としての自分の強みは何なのか。
多分それは「変わってる事」。なのかなと思う。
否定的なニュアンスで使われる言葉だけど、僕は変わってるって言われることに悪いイメージは持っていない。
牛も飼い方も時代と共に変わる。
和牛削蹄も同じ、牛と環境に合わせた蹄に変化させていくものだって思ってる。
そのためには僕自身も変化しなくちゃな。
クレイジーとは変わり者。
例えイカれてるように見えても、そんなクレイジーならありだと思う。
https://instagram.com/p/BcLRJogjd92/
「ああ、放牧された牛の蹄って美しいな。。。」
死蹄を触りながらそんな事ばかり考えてる僕。
ヤバイね。変な人だね。
で、でもこれ、セーフな方のクレイジーだよね!!
そんな事を思う今日です。