最終更新日2019.1.8 19:30
牛は家族ではありません~擬人化するより違いを知ること~
こんにちは。
但馬牛繁殖農家のお肉屋さん、田中畜産の田中一馬です。
「牛は家族ですか?」
そう聞かれると僕は「違います」って言うと思う。
家族はやっぱ家族だ。
家族のように牛に愛情をもって接することに違和感はない。
むしろ素晴らしいと思うし、僕もそうありたいと思う。
ただ、牛を擬人化するのはちょっとずれてるよなって思うんだよね。
だって牛は牛だもの。
以前から動物愛護を声高に叫ぶ人ってなんて胡散臭いんだろうって思っていました。
間違いなく僕も胡散臭い部類なので人のことは言えないんだけど、違和感の根底にあったのは動物への擬人化だったんだと思う。
おはようございます。動物愛護を叫ぶ人って、なんでこんなに胡散臭いのか。そんな事を朝から考えていました。でもやめた。だって僕も胡散臭いもの。見る人が見れば自意識過剰なおっさん。畜産は虐待だと騒ぐことが幸せな人は騒いで暮らせばいい。僕は僕の日常を今日も届けよう。それでいいんだと思う。 pic.twitter.com/bA9N9wTc3U
— 田中一馬 但馬牛農家の精肉店・田中畜産 (@tanakakazuma) May 18, 2017
牛と人は違う
あたりまえなんだけど牛と人は違います。
人だって価値観はバラバラなのに、ましてや違う生き物。
もちろん共通するところもある。
でも、共通するところがあるからこそ、通じていると思ってしまうからこそ、自分と同じなんだって思ってしまいがちなんです。
人でもあるよね、良かれと思ってやったことが勘違いだったって。
言葉すら通じない牛ならなおさらです。
例えば自分の子供が一人部屋で泣いていると、親としてすごく心配になります。
子供に何が起きたのかとにかく考える。
真剣です。
でも、動物に対してだとそこまでの真剣さはない。
つい自分の感覚を押し付けて分かった気になりがちです。
動物にこそ真剣に向き合わないと気持ちなんてわかるはずもないのにね。
擬人化とは自分化。
安易に自分の感覚を押し付けることでもあると思う。
牛と人間では見ているものも違う。
それは視覚の広さや色の感じ方と言ったことではなく、同じものを見ていてもそこから感じる情報が全く違うってこと。
例えばこの動画、押しても引いても持ち上げても牛は動かない。
でもホースをまたいだ後はとことこと歩くようになります。
なぜ牛が動かないのか。それは足下のホースが怖いんです。暗い所から明るい所へ、影による明暗、ちょっとした段差、人が「そんなことかよ?」って思うことが牛にとっては恐怖の対象。足元の変化を少なくするだけで驚くほど歩くようになるんです。 #牛ネタ pic.twitter.com/2JK4PgXFKo
— 田中一馬 但馬牛農家の精肉店・田中畜産 (@tanakakazuma) May 4, 2017
人も牛も見ている景色は同じです。
「なんだそんなこと」「たかがホースやん」、そう思っていることの違いが人と牛の違いです。
この大きさににどれ