最終更新日2019.1.8 19:10
幸せに生きることと現状に浸ることは違う。
今日、削蹄の後輩が「牛飼いに専念するためにツメキリの仕事から抜けることにしました。」と挨拶に来てくれた。
「寂しいな」とか、「ここで辞めちゃうの?」とか、「だいぶ切れるようになってきたのにもったいないな。」とか、いろいろ思ったりもする。
だけど僕がどうこう言うことでないし、決断を応援したい気持ちのほうが大きい。
また、今日の神戸新聞には「但馬牛の伝統 私が残す」と地元の若い牛飼いの子が載っていた。
子牛が死んじゃった写真まで掲載されていて、思うとこもあるけど、あいつも頑張ってるんだなとも思う。
そもそも僕自身、色物で先輩方からは『思うとこがある』どころのもんではなかったと思う。
傍から見れば見れたもんじゃなくっても本人は必死。
でもまあそんなもんだと思う。
留まり続けている人間なんていない。
若かろうが年をとろうが、各々が自分の人生を生きている。
そんなことを思ったとき、自分の姿に違和感を感じた。
俺は踏み出しているんだろうか。
今までいろんなことに手を出しては失敗し、そんな中でもどうにかやりたいことをやってきた。
気が付けば評価してくださる方も増えた。
しかし、今一瞬を振り返ると、澱んでいると思ってしまった。
牛飼い、削蹄、牛肉販売。
そんな肩書きや評価に気が緩み、止まっている。
牛飼いとしても中堅に入り、子牛は相場高、削蹄は一定のポジションを、牛肉販売もクレームなく喜んでもらえて、牛飼い仲間からは一馬くん一馬くんと可愛がっていただいている。
それはそれで良い。
だけど挑戦し続けるはずが、そんな環境に甘えてしまっている気がした。
現状は現状で永続的なものではない。
心地いい空間にいると感覚が鈍る。緩む。
挑戦しているという環境に、腰を下ろして納得した時点で、劣化は始まる。
それでなくても僕は常に劣化しているのに。
先人が突き抜け、若い子達が新しい道を模索している中、今ある現状に安心してしまうのは後退でしかないと思う。
今を幸せに生きることと、現状に浸るのは全く違う。
僕は今の僕で満足しているのか?
違うよね。
出来ることは無限にある。
流れは緩やかでも支流でもいい。
溜まり濁ることなく進み続けなきゃ。
そう思った日でした。