最終更新日2019.1.8 16:15
「食べるものに感謝しよう」 この言葉にどれだけ実感を持っている人がいるのだろう?
ネズミ捕りのシートにスズメがかかってた。
雪が降ると群れで牛舎にやって来て餌の中に糞をするスズメ。
防疫的にも害鳥になる。
愛でる心と哀れむ心、そして割り切って処理する心。
どれも本当の心だ。
牛にしてもそう。
愛でる心と割り切る心。
人の心は善悪で語れるほど単一じゃない。
人がする仕事も然り。
激励も批判も傍観もある。
正しさなんてその人の好みだと、そう思っているくらいでちょうどいい。
そんなことを考えていたら、子供たちがスズメを救出していた。
https://twitter.com/tanakakazuma/status/957070590879215622
でも、やっぱりダメでした。
スズメさんはダメでした。害鳥から一転して特別な存在に。人って勝手だね。助かって欲しかったって思っちゃう。でもそんな勝手さが僕は人の魅力だと思うんだよね。 pic.twitter.com/qFxqgQZE3g
— 田中一馬 但馬牛農家の精肉店・田中畜産 (@tanakakazuma) January 27, 2018
家に帰る道中、牛の餌に群がるスズメを見て「ほら、あそこにもスズメがいるよ。」と声をかけるけど、「あれは死んだ子とは違う。」という娘。
そのとおり。
僕にとってはどちらも変わりのない害鳥だけど、娘にとっては特別な鳥。
だから僕にとっても特別な鳥になっていた。
僕は自分勝手だ。
でも、そんな自分勝手さが人の魅力だと思う。
その日の午後、子供達と海を見に行った。
海へと流れている河口には死んだばかりの鹿がいた。
死んだ鹿を棒でつつく娘に「スズメは死んで悲しいのに、鹿はなんで悲しくないの?」そう聞くと、娘はこう答えた。
「関係ができてないから。」
ストレートな娘の返答に少しどきっとした。
「命は大切に」「いただきます」「食べるものに感謝しよう」
こういった綺麗な言葉が世の中にはふわふわと蔓延している。
この言葉を伝える側も受け取る側も、どれだけ実感を持っている人がいるだろう。
その言葉に胸をつかまれる人がどれだけいるのだろう。
関係とは実感だと思う。
実感の伴わないものは響かないし残らない。
それはこういったブログやSNSの発信でもそうだ。
言葉が溢れる現代だからこそ、今後ますます言葉は届かなくなる。
血肉の通った言葉だけが残り、残ったものの中で初めて、好き嫌いというフィルターにかけられるのだと思う。
だからこそ地に足をつけることや実感を持つことが大切になるんだと思う。
リアルでもネットでも虚像は続かない。
畜産は屠る仕事でもあるから、僕の周りには否定的なコメントも集まる。仕方ない。いろんな考えの人がいるもん。ただね、毎日牛を飼い1頭1頭の命を繋ぎ最終的に屠畜して、肉を切り発送し、お客さんからの投稿をこうやって見ると、繋げる仕事なんだって強く思うんだ。大切に食べてくれてありがとう。 pic.twitter.com/reI3A1Y0JG
— 田中一馬 但馬牛農家の精肉店・田中畜産 (@tanakakazuma) January 7, 2018
畜産は屠る仕事でもあるから、僕の周りには否定的なコメントも集まる。
仕方ない。
いろんな考えの人がいるもん。
批判も激励も傍観もそれはそれ。
ただね、毎日牛を飼い1頭1頭の命を繋ぎ最終的に屠畜して、肉を切り発送し、お客さんからの投稿を見ていると、繋げる仕事なんだって強く実感するんです。
大切に食べてくれてありがとう。
こう思えることが、今の僕の自慢です。