最終更新日2019.1.8 16:21
「きょうふく」という牛
「おおふく3」という牛がいた。
彼女は僕が牛飼いを始めた時の創業メンバーの1頭。
(8年以上前に書いていたブログ→「おおふく3」)
おおふく3が我が家に来て、初めて生まれたメス子牛を、子牛市場で販売せずに僕は母牛候補として家に残した。
それが「きょうふく」という牛だ。
自分の家で生まれて母牛として残す牛のことを「自家保留牛」と言うんだけど、きょうふくは我が家で初めての自家保留牛だった。
だから(牛にはそれぞれエピソードがあって思い入れもあるけど)この子は特別な牛。
こちらは「おおふく3」。正面から見たら親子良く似ているよね。
僕は2003年に5頭の妊娠牛を導入するところから牛飼いを始めた。
そん中できょうふくは【初めての我が家生まれの母牛】だった。
保留を決めたのが僕の母の誕生日ということもあって、母の名前(京子)と、おおふく3の名前から2文字ずつとって「きょうふく」とした。
だからこの子は、僕だけでなく実家の家族にとっても思い入れのある牛でもある。
この「きょうふく」、まだ牛が5~6頭しかいない時のメンバーだったので僕はとても手をかけて飼っていました。
そのかいあってすごくおとなしい牛で、子供がさわっても嫌がらず、放牧に出しても適応力が高く、乳もよく出て、子育ても上手で、種どまりも良い。
まさに繁殖牛としては満点の牛。
ただ脂肪交雑(サシ)の育種価がCランクということで高値で売れる系統ではなかったし、牛舎でも派手な牛ではなかった。
人には優しいが牛には厳しく、ちょっとでも弱い牛と見ると角で突きまくる。
あまりに喧嘩っ早いので成牛になってから除角したくらい。
そんな一面もあった。
きょうふくは産子のサシがいまいちだったので、途中から受精卵移植の借り腹(代理出産)の役となった。
普通は受精卵移植は受胎率が50%くらいなのだが、この子は受胎率100%。
この子から生まれた受精卵産子「たかね」は我が家の看板の一端を担う牛として活躍してくれている。
とにかく田中畜産の歴史の中で一番貢献してくれた牛。
それが「きょうふく」だった。
しかし、牛の世界の更新は早く、気が付けばきょうふくも13歳といい年になっていた。
本当はもう少し頑張ってもらって一緒にいたかったのだけど、昨年受胎できなかったため繁殖牛として引退してもらうことを決めた。
繁殖牛として引退するということは肉になるということだ。
今は子牛価格が高騰しているので、もう一度種をつけて妊娠牛として販売するという選択肢もある。
そのほうがきょうふくも長生きできるかもしれない。
しかし、僕は自分の手で最後までやりたかった。
僕はこのために肉の販売をしているといってもいいくらい。
美味しさは必須だと思うけど、僕の中ではそれより大切なものがある。
そういう事を言うこと自体が甘えや怠慢と言われるのは分かっている。
お金を出して買っていただく食品だからね。
追求しなきゃいけない。
思い入れのある牛だけど最後まで可愛そうだとは思わなかった。
僕が変わったのかな。
ただただしっかりと、本当に欲しいという方にだけ届けたいと思うよ。