最終更新日2019.1.8 16:21
牛の命を大切にする牛飼い
僕は消費者の方から【牛の命を大切にしている牛飼い】のように言われる事がとっても多いです。
でも、僕自身そんな認識は全くありません。
そもそも牛飼いは牛で食っているので牛を大事にしないと経営は成り立ちません。
いくら工場のように効率化やコストカットに焦点をあてても、牛が見れない農家は儲けられません。
牛を見ると言うことは技術です。
どんな技術も向き合って積み重ねて身につくもので、牛を粗末にする事とは対極にあります。
そんな僕はと言えば1頭の子牛を12月の子牛市場で販売するか、自分で肥育するか、廃用にして病理解剖するか、迷ったあげく、子牛を積んで家畜保健所今向かっているという有り様です。
技術が足りない。
牛が見れない結果です。
今は牛の死でノスタルジックにはなりません。
反対に慣れちゃって無関心って訳でもありません。
受け入れるしかないので、その時その時色々な思いで受け入れているだけです。
お肉にするときもそうで、牛の屠畜日を決めるのは僕です。
僕の判断で牛の寿命は伸びたり縮んだりします。
だから僕は「命を大切にしている」という実感は無いのです。
牛のプロフィールや放牧牛肉など、色んな分かりやすくてインパクトのある手法がクローズアップされて、田中畜産が派手に見える事も綺麗に見える事もありますが、牛の命を奪っているとは思っても「大事にしている」と思ったことは無いんですよね。。。
ただただ僕は牛飼い以前に、自分が納得のいく生き方で生きようとしているだけで。
その過程で今一緒に歩いていける、お話しできる方がたくさんいること。
そこに喜びを感じますし、大事なことを大事にしたいと思う日々です。
因みに、命をいただきますという「綺麗な感動ストーリー」をつくろうと思ったことは一度もなく、美味しく食べる事が牛の供養だとも思ったこともありません。
「おいしく食べてくれてありがとう」と牛が思う訳ないし、美味しく食べれてありがとうと思うのは当然人間なわけです。
そんな当たり前すぎる話を2008年の牛肉販売時から言ってきました。
牛のストーリーをお肉に添付するのは僕が自分の牛を知ってもらいたいだけです(笑)
だから人の牛を回して、もっと放牧牛肉の数をさばこうとか(今はさばく能力がないですけど。。。)、ブランドをつくろうとかもしません。
これらの事を改めて明示して、引き続き僕らしい牛飼い&削蹄師&お肉屋さんを目指します!
よろしくお願いいたします!!!