田中一馬ブログ

牛乳は毒・霜降りは虐待・畜産は成長ホルモン投与などのトンデモ情報も自分の体験した情報も、見る人にとっては同列の情報だということ。

こんにちは。

但馬牛繁殖農家のお肉屋さん、田中畜産の田中一馬です。

最近僕のFBで「牛乳毒説」についての投稿をよく見かけます。

某お医者さんが書かれたこの投稿は、炎上商法だとか宗教だとか事実に反しているとか、多くの農業関係がさまざまな角度から反論をしている。

そのことについて僕からは何も言えません。

なぜなら、読んでいないから。

読んでもないものは語れませんよね。

なんかこの手の投稿って読みたくないんですよね(笑)

情報を止めることは出来ない

牛乳毒説、霜降りは虐待説、成長ホルモンやりまくり説etc、世の中には畜産にかかわる様々な情報が飛び交っています。

たとえば以前こんな投稿が拡散したことがありました。

『さくらは私たちがと殺場で出会った豚です。

2016年の冬、さくらは肛門から腸が飛び出させ、血だらけで、トラックの荷台に乗せ­られてやってきました。

さくらはこれまで、一生のほとんどの時間を、狭い妊娠ストールの中で過ごしてきました­。

方向転換もできず、ほかの豚と触れ合うこともできず、ただ子供を産むために生かされて­きました。

彼女がようやくこの狭い妊娠ストールから出ることができた日が、直腸脱のためにと殺さ­れる日でした。

寒い雪の降る日、治療のためではなく「処分」されるために、さくらはトラックに乗せら­れました。

激しく揺れるトラックの中で、飛び出した直腸が荷台のあちこちにぶつかり、血だらけに­なりながら激しい痛みにさくらは耐えました。ようやくトラックが止まり、と殺場に到着­し、自分の血の臭いとは違う仲間の血の臭いをかいだ時、彼女は自分が殺されることに気­が付きました。

ほかの豚たちの臓物や皮を運ぶフォークリフトが行き交う場内で、彼女は自分の番を待ち­ました。そして作業員に蹴られながらトラックから降ろされ、建物の奥へ押しやられ、私­たちの視界からさくらは消えました。

最後の最後まで、彼女が命あるものとして扱われることはありませんでした。

私たちは、さくらのような一生を、もう誰にも味わわせたくありません。

苦痛と悲しみと暴力に、ただじっと耐えるだけの姿をもう見たくありません。』

畜産農家であれば「うんうんそうだね」とは絶対思わない。

反論したくなる。

もしくは異端者として鼻で笑って見下す。

僕がこんなでした。

だけどそんな事しても、な~んにも変わんないわけ。

動物愛護団体や某お医者さんに「こいつアホや」ということは簡単ですが、こういった情報がイチ畜産農家の発する情報以上に発信力のあることは事実です。

今、僕たちは過去に経験したことないくらいの情報量の中で生きています。

僕が大学生だった20年前はインターネットで調べ物をしても載っていないものの方が多かった。

でも、今はグーグルで検索すれば何かしらの情報は出てきます。

更にSNSの普及でリアルタイムの個々人の声まで見られるようになった。

もはや増え続ける情報を止めることは出来ない。

それは僕らが望んで出来てきた形だから。

【人類の夜明けから2003年までに生み出された情報量を、現代社会は1日で生み出している】

グーグルのエリック・ シュミット会長が言っていたこの言葉はとても有名ですが、それも4年前のこと。

今は更にすごいことになっているんだろなって、こんな僕でも分かる。

無尽蔵に情報があふれるの現代社会において、トンデモ情報も自分が体験して体得した情報も見る人にとっては同列に1つの情報です。

情報なんてそんなもんだと思っている。

重さのある情報を

この情報過剰な現代で、選ばれる情報って重さのあるものだと思うんです。

正しさではなくて重さ。

いくら正しさを叫んでも相手に届かないことってありますよね。

それはその情報が相手にとって軽いものだから。

だからこそ僕は重さのある発信をしていきたい。

そのために大切なことは2つあると思う。

①自分を出して発信すること

②選んでもらえる関係性を作ること

今回の「牛乳毒説」のように生産者から見れば鼻で笑っちゃうような情報も、新しい視点のようにネット上で書かれると「そうなんだ~」と思ってしまいます。

そこで「わかってない消費者が多い」なんて俯瞰したような見方をしちゃう気持ちも僕はわかる。

でも、そんなときにこそ振り返ってみるべきだと思う。

①自らが自分を出して継続した発信しているのか、②そしてその発信に共感してもらえるような関係性を築いてきたのだろうかと。

発信は一方通行じゃない

という僕も、そんな発信が出来ているのかといえばまだまだです。

でも発信を続けてきたから分かったこともある。

それは発信は一方通行じゃないってことです。

今日も削蹄先の牧場の方から「いつもフェイスブック見てます。」と言ってもらい、牛舎に帰ると餌屋の運転手の方からが「奥さんと一馬さんのブログ見てますよ~。10代で宮城から連れてくるって犯罪ですよね。」なんて昔書いた妻との馴れ初めブログまで遡って見てくれていた。

今はスマホのおかげで誰もがインターネットに接続するのが日常になった。

発信は特別なことでなくなり、閲覧も当たり前のこととなった。

一見反応はなくても、発信していれば見てくれる人はいる。

発信の先には相手がいる。

この積み重ねだと僕は思うんです。

最後に届くのは情報ではなく人

畜産業なんてほとんどが個人事業主です。

人の数だけ牛に対する思いもばらばら。

でもそれがリアルな畜産業。

農家としての意見なんて集約も出来ないしする意味もない。

当然正しさなんてない。

個々人がばらばらに自分自身を発信していく。

そうすれば畜産に関する情報には深さが生まれる。

それぞれの農家が自分にとっての当たり前を発信していけば、畜産に対する評価は歪み無くまっとうな形になっていくと思う。

僕ら牛に毎日向き合って牛に人生かけている人間の言葉が、外野からの畜産批評に負けるわけないじゃない。

魂こもってんだから。

「消費者は全然わかってない。」

それって半分以上自分に原因があるって思う。

僕らが当たり前に思っていること、面白いと思うマニアックなこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、なんでもいい。

もっと発信しよう。

宣伝ばかりしたって「ああ、売りたいんだな。。。」って思い以外は何も届かない。

日常を発信し続けよう。

最後に届くのは情報ではなく人だから。

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書いている人

しゃべらないけど発信はマメ 田中一馬

1978年生まれ。兵庫県三田市出身。田中畜産代表。
小さい頃から動物が大好きで北海道酪農学園大学へ入学。在学中に畜産の魅力に目覚め、大学院を休学して2年間畜産農家で住み込みの研修に入る。
2002年に独立して田中畜産を設立。但馬牛の子牛生産をメインに、牛の蹄を切る削蹄師として様々な農家の蹄をサポートをしている。
2008年に精肉部門を立ち上げ、自家産の但馬牛を中心に長期肥育や経産肥育、放牧牛肉の生産などをスタート。
好きなものは牛肉、漫画、純米酒、ウイスキー。ここ1年はサウナにドハマり中。

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