あつみブログ

牛飼いになって、命の見方、視座が増えた気がするんだ

 

 

「牛が好きで飼っているのに、食べるのは悲しいと思わないんですか?」

 

 

 

 

こんばんは。

兵庫県で但馬牛の繁殖農家・精肉販売をしております、田中畜産あつみです。

 

一昨日配送し終わった我が家のお肉。ツイッターやFBなど、届いたよ!お料理したよ!の嬉しい報告をたくさんたくさん拝見してホッコリしています。

 

 

 

 

https://twitter.com/crown_mt/status/949945730784886785

 

 

 

ありがとうございます!!お肉のその後やお客様の思いが伝わってきて、とても温かい気持ちです。

 

 

 

牛が好きなのに、お肉にするのは悲しくないの?

 

お肉販売を始めてかれこれ10年。最初は細々と、そこからずっと購入してくださる方、新しいお客様も増えて今年も無事に販売できています。

 

でね。時々。牛飼いをしていても、特にお肉を販売することでも聞かれること。

 

 

「牛が好きなのに、子牛を販売したり、牛をお肉にするのは悲しくないの?」

 

 

冒頭でも書いた言葉。

うん。どんな気持ちで子牛を販売するのか?お肉にするのか?牛飼いを始める前、私もとても気になりました。

だって、ずっと成長を見てきた子牛を手放すということだもの。その先はお肉になるのが分かっているもの。

それが悲しくて、たぶん私には受け止めきれないだろうから、肉牛じゃなくて酪農にしよう。乳牛だったら牛乳の出荷だから大丈夫だろう。

大学で勉強しているときにはこんなことを思っていました。

(これはとんだ勘違いで、乳牛だって最後はお肉になります。全然分かっていなかったんですね)

 

ここに嫁いでからしばらくは、やっぱり子牛の出荷は悲しくて、牛市に行くときは泣きそうになりながら子牛を見送っていた。懐かしいな。

 

 

無事に大きくなってくれたことへの感慨はあるけれど、悲しくて泣きそうになることは今はありません。

 

 

牛飼いをして、お肉を販売していくなかで、少しずつ「悲しい」とは違う感情が出来てきた感じがします。

それは、生き物の「生き死に」に慣れたということでは決してありません。

子牛や親牛の死亡事故は何度遭遇しても悲しいし、ものすごい無力感です。

 

 

 

 

命、特に死と向き合う場面って限られていて、そのなかでも

人 対 人

人 対 伴侶動物

が多いんじゃないかな。

 

私も小さいころに人の死に触れ、大好きだったペットの死に触れ、なんとなくでも死の感覚が分かるようになって。

 

 

今思えば、嫁いで間もない頃は、その延長線で「牛飼い」を見ていたように思います。

分からない感情は、似たような感情で想像するけれど、やっぱりなんだかしっくり来なくて(私の場合です)

 

丸10年。まだまだひよっこだけど、牛飼いして。

愛情を持って牛さんを育てることと、販売する・お肉にするのは矛盾しないよな。と思うようになったし、それは、その先のお客様が見えるからというのもありますが、命の向き合い方というか視座が増えたような気がするんです。

 

人 対 人

人 対 伴侶動物

人 対 牛さん

 

 

 

悲しいとはまた違う感覚。見方。

すごく豊かなことだと思うし、それが牛飼い・畜産農家の特権なのかも知れない。誇れる感情だと思うんだ^^

去年も同じようなことを思っていたんだな。お時間ある方は読んでみてね

 

 

 

 

やっぱりかわいそう

悲しい

食べられないよ

おいしい

しあわせ

 

 

どんな気持ちが合ってる間違っているとかはなくて、きっとどれでも正解なんだと私は思います。

どう思うのかは、その人だけのものだから。

誰が何をどう思うのか、もちろん同じ気持ちにはなれません。私も自分以外の気持ちは分からないし、ましてや他のお仕事のことも。

そんななかで、我が家のやりたいこと、牛飼いやお肉販売のことに思いを馳せて、想像して。寄り添ってくださる方がいるのはとても幸せです。

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書いている人

牛飼いの嫁 田中あつみ

1987年生まれ。宮城県登米市出身。
田中畜産の牛飼い&精肉担当。小さい頃から馬や牛といった大動物が好きで、岩手大学農業別科へ入学。勉強しながら岩手の牧場でアルバイトに励む。
たまたま牧場に視察に来ていた主人と知り合い、結婚することに。2007年兵庫へ移住。牛飼いになってから美味しい牛肉を頂く機会が増えて喜んでいる。
アニメと海とチョコ(Meiji)が大好き。マイペースなB型母ちゃん。

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