但馬牛ってすごいんです!~パート5~ « 田中畜産|但馬牛の繁殖から放牧牛肉の販売まで

但馬牛ってすごいんです!~パート5~

ここに、但馬牛についての驚異的な数字があります。

99.9%

みなさん、これ何の数字だと思いますか?

これは、今現在、全国で飼育されている黒毛和種の繁殖雌牛(母牛)のうち、

「田尻号」の血統に繋がる牛の割合です(全国和牛登録協会調べ)。

これは母牛だけの数字ですが、もちろん現在種オス牛として使用されている牛も、

生まれてきた子牛も、この血統を引いて生まれてきているわけですから、

全国の黒毛和種全体で見ても、ほとんどが「田尻号の子孫」というわけです。

すごいですよね。

今でこそ、人工授精や受精卵移植などの技術が発達し、

1頭の牛で一生のうちに何千頭もの子供の父牛となれるわけですが、

田尻号は、種オス牛として使われていた12年間半のほとんどが自然交配だったにもかかわらず、

全国に1,500頭近い子牛を残しています。

(田尻号 昭和14年4月10日撮影)

 

この田尻号の特に優れた点は、遺伝力の強いこと。

殊に肉質に関する遺伝的能力は特段に優れたもので、

世界に誇る和牛肉の原点は、この「田尻号」にあるといってもよいでしょう。

 

田尻号は、小代村(現在の香美町小代区)の田尻松蔵さん宅に昭和14年に生まれ、

その年に美方郡畜産組合に買い上げられたあと、一時は兵庫県にも預託され、

昭和29年まで活躍しました。

 

松蔵さんも周助さんと同じように小さい頃から大の牛好きで、

良い牛を見定める眼を持っていました。

そして、田尻号の母牛「ふく江」に出会います。

松蔵さんもまた資産家に多額の借金を頼んで、この「ふく江」を手に入れました。

よほど素晴らしい母牛だったのでしょう。

ふく江をたいへん可愛がり、毎日の運動やマッサージを欠かさず、

良い草を食べさせるために、山を切り開いて草地まで作ってしまいました。

 

田尻号はこのふく江が生んだ4頭目の子牛でした。

松蔵さんは、この子牛が良い種オス牛になると信じて疑わず、

ふく江と同じように、毎日の運動と手入れを欠かしませんでした。

この松蔵さんの牛を見る眼と日々の努力によって、

田尻号は生まれて半年後には美方郡の種雄牛候補として認められ、

現在の但馬牛の元祖となる第一歩を踏み出すことができたのです。

 

もし、「ふく江」が松蔵さんのもとにやって来ていなかったら、

そして、松蔵さんが良い牛を見る眼に優れていなかったらどうなっていたでしょう。

田尻号は郡や県の目に留まることなく去勢されてお肉になり、

但馬牛は今のような名声を得られなかったもしれません。

 

松蔵さんは田尻号を生産した功績が認められ、昭和30年に黄綬褒章を受章しています。

また田尻号の功績をたたえて建てられた顕彰碑には、次のように書かれています。

 

この名牛が生まれたのは偶然ではない。

自然的な要因と、人為的な条件が融合しなければ叶わなかった。と。

 

パート2でご説明したように、ここ小代の地が

優良牛を生産するのに適した自然環境だったこと、

そして、パート3で登場した前田周助さんや今回の田尻松蔵さんのように、

良い牛を見極める力を持ち、優良牛生産に力を注いだ人々が、

この小代をはじめ、美方郡にたくさんいたからこそ、

田尻号は「和牛の関係者なら知らない人はいない」とまで言われる

立派な牛になることができたのです。

 

但馬牛の今は、その条件の一つでも欠けていたら有り得なかったでしょう。

そしてそのスタートは、小さな小さな村からの始まり。

こんなすごいことが埋もれてることもビックリですよね。

 

ここまでは、素晴らしい牛が生まれてきたルーツのお話をしてきましたが、

なぜ但馬牛が地元でも手を出しにくい高級牛肉になるのかという理由は

まだお分かりいただけてませんよね?

それはまた次回のお話で。

記事提供:【但馬牛ナビゲーター藤村美香さん】