但馬牛ってすごいんです!~パート2~ « 田中畜産|但馬牛の繁殖から放牧牛肉の販売まで

但馬牛ってすごいんです!~パート2~

先日、但馬牛(たじまうし)が、

神戸ビーフや松阪牛などの世界に誇る牛肉の素牛(もとうし)であり、

また、日本の黒毛和牛の元祖である素晴らしい牛だと紹介しました。

では、なぜこの但馬でこんな良い牛ができたのでしょう。

 

但馬牛はもともと田畑を耕すために飼われていて、

小柄で小回りのきく但馬牛は良く働きました。

そして、使われない時期は世話が大変なので、

集落から離れた山の上の放牧場で飼われていました。

村岡区では、標高900m、

小代区では、集落から4km、標高差500mにもなるところへ

放牧していたことが分かっています。

 

但馬は、今でも「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉が伝えられるほど

日本の中でも雨が多く、昼夜の寒暖差が大きいところ。

山々は豊富な水に恵まれ、野草や薬草も豊富にありました。

夏場、その柔らかく栄養豊富な野草や薬草を食べ、

毎日険しい山を行き来することで、足腰が強くなっていきました。

雪の多くなる冬には、「まや」とよばれる牛の寝床で飼われ、

栄養が少なく硬い稲わらや干草を与えられていたので、

辛抱強く、粗食にも耐えられる丈夫な牛になったのです。

 

但馬の人々は、大事な働き手の牛を家族の一員として

同じ屋根の下の一角を牛の寝床にし、愛情深く育てていました。

働き者で、子牛を生んで生活を支えてくれる牛を

農家の人たちが毎日のように丁寧にマッサージしていたので、

皮膚や毛は柔らかくなり、肉質も柔らかくなったといわれています。

 

但馬には豊かな自然環境があり、愛情深い人々が暮らしていたことで、

素晴らしい牛ができたといっても過言ではないでしょう。

 

但馬牛の素晴らしさは、古いさまざまな文献にも書かれています。

 

古事記には、

「天日槍(あめのひぼこ)が朝鮮から牛を伴って日本に渡来し、但馬出石に住みついた」

と、記されています。

 

約1300年前の平安時代に編纂された、「続日本紀(しょくにほんぎ)」には、

「但馬牛は、耕運、輓用(ばんよう・車ひき)、食用に適す

但馬は古来牛を愛養し、良畜を産す。」

と記され、昔から食用にも適した良い牛が生産されていたことが分かっています。

 

また、約700年前に書かれた「国牛十図」にも、

「骨ほそく 宍(にく)かたく 皮うすく 背骨まろし

角(つの)つめことにかたく はなの孔(あな)ひろし 逸物(いちもつ)おほし」

と、書かれています。

ここでいう「宍(にく)」とは、食べて硬い肉ということではなく、

体つきの締まりのよさのことを言っていて、

「骨は細いが筋肉の締まりがよく、皮膚は薄いが背骨がゴツゴツ出ていない。

角やひづめは特に固く、鼻や口まわりが広くて健康、優れた物が多い」

と、優れた体型、特徴、性質であることが記されています。

 

1583年の豊臣秀吉公大阪城築城の際には、

全国から集められた牛の中でも

小さい体ながら力強くて忍耐力もあり、温和で強健、大いに仕事がはかどったので、

但馬牛は日本一の名牛と賞賛され、

「一日士分」を与えられたと言われています。

 

これらのことからみて、但馬牛は昔から良い牛であったことが分かりますが、

 ただ、このことだけで現在の素晴らしい但馬牛があるわけではありません。

そこには、牛と地域を愛した男たちの物語が・・・

 

但馬牛のすごさはまだまだ続きます。

但馬牛ってすごいんです!~パート3~に続く)

記事提供:【但馬牛ナビゲーター藤村美香さん】